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■多摩湖駅
西武多摩湖線の終着駅。1936年に村山貯水池駅として開業し幾
度かの改称を経て2021年に現在の駅名となる。1985年には
山口線が乗り入れるようになった。多摩湖線と山口線は、乗り場は
離れているものの同一階となり、段差なく乗り換えが可能。画像手
前が山口線乗り場。奥に多摩湖線が見える。
※矢印を画像にかざすと記念撮影用レプリカの画像へ。
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■多摩湖駅を出発
多摩湖駅はホーム半分がトンネル内に突っ込んでおり、出発すると
しばらくトンネル内を進む。トンネル内で都県境をまたぎ、東京都
東村山市から埼玉県所沢市となる。
※画像は駅構内の安全な場所より望遠で撮影。 |
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■トンネルを抜ける
次の西武園ゆうえんち駅までは300mの距離であるがトンネルが
連続する区間となる。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■西武園ゆうえんち駅に到着
トンネルを抜けた先に、西武園ゆうえんち駅が現れる。当駅は「お
とぎ線」時代の起点であった遊園地前駅の代替として設置された。
余談であるが、当駅は埼玉県内の鉄道駅で最南端に位置する。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■東中峯信号場
西武園ゆうえんち駅を出発した列車は、左方向へと大きくカーブし
再びトンネルに入る。トンネルを抜けると、西武園ゴルフ場と村山
貯水池(多摩湖)に挟まれた都県境を進む(路線は埼玉側)路線の
中ほどに東中峯信号場が現れる。当信号場は西武ライオンズ球場で
の試合開催時やイベント開催時の列車増発の際に使用される。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■木々に囲まれた中を進む山口線
山口線はほぼ全区間を木々に囲まれた中を進むため、ゆりかもめや
ニューシャトル等のような一般的な案内軌条式鉄道にはない車窓と
なる。森の中を進むと、正面に西武ドームが見えてきた。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■西武ドームをかすめる
西武ドームを間近に眺める地点で列車は右方向へ大きくカーブする。
西武ライオンズ球場は、元々はアマチュア野球向けの「西武園球場」
であったが1979年にプロ野球開催可能な施設へと改修、同時に
クラウンライターライオンズを買収して西武ライオンズとし同球団
の本拠地とした。1999年には後付けでドーム屋根が設けられた
という極めて珍しい経緯を持つ。なお、おとぎ線時代の山口線はこ
の地点から道路に沿うように左側へと逸れていく。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
※軽便鉄道時代の廃線跡は後述。
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■山口車両基地
西武ドームを横目に大きく右にカーブした列車は、西武球場前駅ま
で今度は左に大きくカーブする。その手前にあるのが山口車両基地
である。山口線所属車両である8500系は、案内軌条式鉄道では
日本初のVVVFインバータ制御車両となる。当初は白地に赤帯の
車両で7000系となる予定であったが直前の計画変更により現車
両の導入となった。「8500系」の形式名は1985年の導入で
ある事、車体長が8500mmである事から名づけられた。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■西武球場前駅に到着
山口車両基地を過ぎてほぼ180度向きを変えた列車は西武球場前
駅に到着する。ホームは7番線を使用し、8番線は増発時以外は留
置車両がお昼寝している。
※画像は反対方向行き列車の最後部より撮影。
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■西武球場前駅(山口線ホーム)
上記の画像をホームより撮影。平日日中は実に長閑なホームとなる。
遊戯施設を起源とした軽便鉄道「おとぎ電車」は、西武ライオンズ
球場開場などによる輸送力不足や施設の老朽化のため、大規模改修
と共に案内軌条式鉄道へと生まれ変わった。ただ普通鉄道ではなく
案内軌条式鉄道が採用された真意は、高麗駅と飯能日高ニュータウ
ンを結ぶアクセス路線の構想が当時あり、その実験を兼ねていたと
も言われている。山口線は平日日中20分間隔、多客時には10分
間隔で運転される。
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■「おとぎ電車」を辿る
ここからは「おとぎ電車」と呼ばれた軽便鉄道時代の山口線の廃線
跡を辿る。西武ドーム手前で、並走する道路に沿うように、線路は
左方向へと逸れていく。ここから多摩湖の北端付近まで西武ドーム
や狭山スキー場の南側を半周する。
※この項では軽便鉄道時代の山口線を「おとぎ電車」と表記します。
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■県道55号線を越える
おとぎ電車は狭山スキー場の裏手、多摩湖の北端付近で県道55号
線を鉄橋で跨いでいた。現在、鉄橋は跡形なく撤去されており痕跡
を探すのは非常に困難である。
※画像は付近の歩道橋より撮影。奥側の乗用車付近が鉄橋跡と推測。
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■慶性門の裏手を走る
おとぎ電車は県道55号線を越えた先、慶性門の裏手を走っていた。
草木が生え放題で痕跡を探るのは困難であるが、線路は画像中央か
ら大周りするように右カーブし、右奥へと通っていたと推測する。 |
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■県道55号と合流する
線路は北方向へと向きを変え、県道55号線と一旦は並走するもの
の、すぐさま離れて老舗料理店「堤新亭」を囲むように迂回する。
画像右側の車道が線路跡。 |
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■森の中の遊歩道を進む
堤新亭を迂回した先は線路跡を転用した遊歩道となっている。ここ
から先は比較的、廃線跡と分かる箇所が続く。
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■金乗院裏参道と交差する
遊歩道を抜けると、金乗院への裏参道と交差する。金乗院は弘法大
師の開基といわれる真言宗の寺で、鎌倉時代末期、新田義貞が鎌倉
を攻めた際にはこの寺に祈願したという。本堂に祀られている本尊
千手観音は秘仏で、33年に一度開帳される。本尊の脇仏には不動
明王と毘沙門天が祀られている。 |
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■県道55号線と再び並走する
金乗院裏参道の踏切を抜けると左手には県道55号線が並走する。
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■金乗院・奥之院前を通る
右カーブの先には金乗院・奥之院の五重塔と朱色の門が目に入る。
朱色の門と灯篭の間をおとぎ電車は通っていた。この先、また県道
55号線から外れる。
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■竹林の中を進む
左に逸れる県道55号線を尻目におとぎ電車は直進するが、その先
は竹林の中を上り勾配で進む。
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■山林の中を進む
竹林を抜けると線路は下り勾配となり、その先で三たび県道55号
線と並走する。
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■金乗院駐車場脇を進む
鬱蒼とした木々を抜けると、金乗院駐車場脇を進む。遊歩道の左側
の柵は、おとぎ線廃線直前の資料には写っている柵で数少ない遺構
であるが、当時は白かった柵も錆びるに任せた状態である。
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■ユネスコ村駅前広場へ至る
遊歩道の先は鬱蒼とした木々と、狭山不動尊の駐車場らしき空き地
があるが、ここがユネスコ村駅の駅前広場跡となる。
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■ユネスコ村駅跡
現在のユネスコ村駅跡。画像奥が西武園方面。殆どが更地となり痕
跡はほぼ無い。奥に見えるガラス張りの建物はユネスコ村大恐竜探
検館の入園ゲート跡である。
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■1978年頃の山口線ユネスコ村駅
管理人は幼少期にユネスコ村を訪れており、その時に撮影された写
真である。上記とは逆方向から撮影している。手前側が西武園方面。
山口線は元々、多摩湖ホテルとユネスコ村を結ぶ遊戯施設であった。
1952年に正式な鉄道となったが「おとぎ電車」の名はその後も
使用された。当初は蓄電池機関車のみであったが、1972年には
蒸気機関車も運行開始された。1984年、施設の老朽化と西武ラ
イオンズ球場会場に伴うアクセス改善のため、おとぎ線は廃止とな
り路線短縮のうえ案内軌条電車化された。
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