にょほほ電鉄 - 路線 - 日本国有鉄道成田新幹線・・・
成田新幹線は、国鉄が成田空港アクセス鉄道として計画した新幹線
である。東京駅と成田空港を30分で結ぶ予定だった。しかし沿線
での反対運動が激しく、また空港反対派からも反対運動が起き、用
地買収が不可能となったため、計画中止となった。建設も成田市内
の高架橋以外は殆ど行われなかったが、計画予定地など、一部に遺
構が点在する。この項では幻に終わった新幹線の、遺構や通過予定
地を紹介する。
画像は成田市内の成田新幹線用高架橋。現在は京成とJRが使用。

■東京都江東区・トンネル出口

成田新幹線は東京駅を起点とし、千葉ニュータウンを経由し成田空
港へと至る計画の路線であったが、東京駅は他路線とはやや離れた
有楽町寄りの鍛冶橋通り直下に用地を取得した。これは将来、新宿
方面への延伸を計画していたためである。計画が頓挫した後、取得
用地を転用し、京葉線東京駅と新東京トンネルが建設された。現在
の京葉線は東京〜新東京トンネル出口まで、ほぼ成田新幹線の計画
用地を進む。京葉線はトンネルを出ると右にカーブして潮見駅へと
至るが、成田新幹線は地上に出るとそのまま直進する計画であった。
■千葉県市川市行徳地区・地下鉄東西線との併走部

成田新幹線は、西葛西駅付近より原木中山駅付近まで、東京メトロ
東西線と併走する計画であった。画像は南行徳〜行徳間の東西線高
架橋。高架橋の東側(画像右側)に成田新幹線の高架橋が建設され
る予定であった。成田新幹線の建設に対する反対運動が最も激しか
ったのが、この東西線の沿線であり、東京都江戸川区では、当時の
運輸大臣を相手どり、工事認可取消しの訴訟まで行われた。成田新
幹線は原木中山駅の北側、真間川を越えた先の船橋市本郷町付近で
地下トンネルに入る計画であった。
■千葉県船橋市行田地区・武蔵野線との交差部

船橋市本郷町で地下トンネルに入った成田新幹線は、中山競馬場の
裏手、船橋市行田付近で再び地上に出る計画であった。この地には
JR武蔵野線が横切るが、武蔵野線建設の際、既に計画のあった成
田新幹線との交差を見越して、交差予定地を鋼製の架道橋で建設さ
れた。計画は頓挫し、鋼製の架道橋のみが残る。
※矢印を画像にかざすと架道橋の「遠景」画像へ。
■千葉県船橋市二和地区・謎の細長い駐車場

船橋市行田付近で再び地上に出た成田新幹線は、千葉ニュータウン
方面へ一直線に進む予定であった。画像は船橋市二和西、船橋二和
高校付近の駐車場。地図をご覧いただくとお判りいただけるが、付
近が碁盤の目の様に区画される場所において、船橋二和高校とこの
駐車場だけが、不自然に斜めにカットされた土地となる。成田新幹
線の建設予定地である、先述の武蔵野線交差部と、後述の北総線と
の合流点を一直線に結ぶと、この細長い駐車場および船橋二和高校
の南端が一致する。画像の駐車場は、用地買収したものの計画中止
となって後に売却された土地と思われる。
■千葉県白井市谷田地区・北総鉄道との合流地点

船橋市内を北東方向に一直線に進む成田新幹線は、新京成線の三咲
駅付近を通過し、白井市谷田付近で成田スカイアクセス線(北総線)
に合流する。画像は合流地点。この先、成田新幹線、成田スカイア
クセス線、また同じく計画が頓挫した千葉県営鉄道・北千葉線の3
路線が、印旛日本医大付近まで併走する計画であった。
なお余談であるが、当初はこの谷田地区にも北総線の駅が予定され
ていたが、千葉ニュータウンの計画変更により建設は中止された。
■千葉ニュータウン駅

東京駅から37kmの場所に予定されていた、成田新幹線唯一の途
中駅。計画当初は駅を設置する予定はなかったものの、途中無停車
では採算性に疑問が生じたことから、国鉄側の主張により計画され
た。現在の千葉ニュータウン中央駅付近が予定地であり、そのため
付近の土地は非常に広く取られていた。現在は、一部が北千葉道路
(国道464号線)の拡幅部に転用されている。
■千葉県印西市印旛沼付近

3線の併設が予定されながら、実際に開業したのは成田スカイアク
セス線だけであり、広く取られた掘割部を持て余す光景が、印旛日
本医大駅付近まで続くが、印旛日本医大駅を過ぎると、成田スカイ
アクセス線(京成成田空港線)の線路のみとなり、北千葉道路もこ
の先は途絶える。ただし延伸工事中であるため、断続的に道路が完
成している。画像は印旛沼付近の北千葉道路。高架橋は成田スカイ
アクセス線である。成田新幹線は、印旛日本医大付近〜成田空港間
は、現在の成田スカイアクセス線の線路を、ほぼトレースする予定
となっていた。
■成田市ウイング土屋地区・完成されていた高架橋

成田スカイアクセス線は成田湯川駅を過ぎ、JR成田線との交差部
を越えると、新線とは思えない古めかしい高架橋が現れるが、これ
が成田新幹線の、完成していた高架橋である。この区間は1983
年に完工した区間で、完成直後に計画が凍結された。一時期は燃料
輸送列車の受け入れが行われていたものの、その後放置されていた
が、1991年のJR線による成田空港乗り入れ開始の際に陽の目
を見る事となった。現在は成田スカイアクセス線もこの高架橋を使
用する。
※矢印を画像にかざすと成田空港方面の画像へ。
■成田空港駅

成田新幹線の終着駅。土屋地区の高架橋と共に、凍結前に完工して
いた部分である。建設後は、存在すら闇に葬られようとしていたが
1988年に当時の運輸大臣であった石原慎太郎氏の指示によって
JRおよび京成の空港直下への乗り入れが実現、新線用ホームとし
て陽の目を見た。

成田新幹線は東京駅から成田空港を結ぶ、空港アクセス路線として
計画され1976年の開業を目指したが、沿線の激しい反対運動に
よって用地買収が不可能となり、計画が中止された。