にょほほ電鉄 - 路線 - 京王電鉄京王線・・・
新宿と京王八王子を結ぶ京王線は、開業時〜昭和中期まで新宿付近
は地上を走行していた。しかし、新宿駅前には併用軌道があるほか
玉川上水との並走箇所など線形が極端に悪く、徐行を余儀なくされ
た。都市鉄道への脱皮を図るべく、1963年の新宿駅地下化を皮
切りに段階的に地下区間を延伸、1978年の京王新線開業・初台
駅と幡ヶ谷駅の移転を経て、1983年には笹塚までが地下化され
た。廃線跡は意外にも地上線時代の痕跡が多い。この項では京王線
の地上線時代の廃線跡(主に玉川上水並走部)を紹介する。
※画像は初台緑道(旧線路跡)に残るコンクリート鉄路柵。

■笹塚駅

東京都渋谷区にある京王線の駅。2面4線の高架駅で、中側2線が
京王新線、外側2線が京王線となる。1978年7月に高架化、同
10月に京王新線が開業し現在の形態となる。京王線は1983年
に地下化するまでこの先、初台の手前までは地上線となっていた。
■幡ヶ谷駅付近のトンネル入口

笹塚駅を出発した京王線は、地下に潜って行く京王新線と京王線下
り線を横目にしばらく地上を走る。上り線だけが遅れて地下に潜る
のは、甲州街道へと向かう京王新線のトンネルを跨ぐため。画像は
京王線上り線。画像中央の車道と駐輪場は、地上線時代の線路跡で
ある。
■幡ヶ谷駅付近(西側)

京王線上り線のトンネルの先には白いビルが立ち塞がるが、これは
京王幡ヶ谷ビルで、地上線時代の幡ヶ谷駅舎及び線路跡に建設され
た。ただ旧線路跡部分は通り抜けができるようになっており、通り
抜けを含めて渋谷区立幡ヶ谷駅前公園となっている。
■幡ヶ谷駅付近(東側)

幡ヶ谷駅跡地の東側は現在、京王系列の時間貸駐車場となる。敷地
直下は京王線のトンネルとなり、敷地内には換気口が設置されるが
注目は画像左側。地上線時代のコンクリート鉄路柵が残されている。
■西原一丁目公園

渋谷区立の児童公園。京王線の線路跡を転用した公園である。細長
い以外は特に特徴もない児童公園であるが、所々に京王線トンネル
の換気口があり、地下を列車が走り去るたびに轟音が響く。
■幡代駅跡

西原一丁目公園は球技場あたりから甲州街道に接近する。球技場の
先には暗渠化された玉川上水跡(西原緑道公園)と合流し、この付
近に幡代(はたしろ)駅が存在した。幡代駅は1913年に代々幡
駅として開業、1934年に幡ヶ谷本町、1937年に幡代と名前
を変えたが、戦時下の不要不急駅に指定され、1945年に廃止と
なった。しかし幡代の名は隣接するバス停に現存している。
※矢印を画像にかざすと合流する玉川上水跡の画像へ。
■玉川上水と並走する

戦前の京王線は、当地点から東側は、甲州街道上を併用軌道で進む
路面電車であった。1936年に、玉川上水に沿うように専用軌道
を敷設している。現在は線路・水路ともに地上には存在しないため
跡地は玉川上水旧水路緑道(初台緑道)となり、遊具や噴水、親水
公園のある憩いの空間となる。
■幡代小学校前駅跡

初台緑道を進むと、渋谷区立幡代小学校が目に入る。ここの地には
1914年4月に開業しながらも、程なく廃止となった幡代小学校
前駅が存在した。理由は不明であるが、同年6月に西参道駅まで延
伸開業するまでの暫定的な駅だったのではないかと推測する。
■初台旧地下駅時代のトンネル出口

甲州街道と並走していた京王線は、幡代小学校付近で甲州街道から
離れる。そして1964年の初台駅地下化から1983年までの地
下線延長までは、ここから地下に潜っていた。現在は笹塚手前まで
地下線延伸された京王線ではあるが、地下線延伸直後はトンネル開
口部に蓋がされていなく、残工事の進捗に応じて後から蓋がされた。
そのためか廃線跡である緑道公園が、付近の車道よりも高くなって
いる。また隣接する富士急行東京本社ビルとの間には、トンネル擁
壁が残されている。
■初台駅前

京王新線の駅。当初は京王線の駅で1914年に改正橋駅として開
業した。画像の緑道が玉川上水で、地下化工事の際には仮線が敷設
されていた(奥が幡ヶ谷方面)開業当初は相対ホーム2面2線であ
ったが、先述の地下化工事の際には玉川上水直上に島式ホームを仮
設し1面2線とされていた。地上時代の初台駅は大きな駅舎が特徴
であったが、現在は駅舎と線路跡地が京王初台駅ビルとなる。初台
駅は1964年に地下化されるも、1978年に京王新線が開業し
た際に京王新線の駅となり、京王線ホームは地下化後わずか14年
で廃止となった。
■玉川上水に架かる三字橋

初台駅を出発した京王線は引き続き、玉川上水と並走する。山手通
りを超えた先の路地に架かる橋が三字橋(みあざばし)大半の欄干
がモニュメントと化した中、当時の橋の欄干が残っている。欄干の
幅が緑道公園に対して短いが、欄干が途切れた奥の部分が京王線の
地上線時代の踏切跡である。
■西参道駅跡

緑道を進むと明治神宮からの参道(西参道)と交差する。この地に
あった駅が、その名も西参道駅である。1914年に代々木駅とし
て開業し、その5年後には神宮裏へ改称、1939年に西参道とな
るが、戦時下の不要不急駅に指定され1945年に廃止となった。
現在、跡地は月極駐車場となる。なお、西新宿地区の再開発による
西参道駅の設置計画(復活)案が浮上している。

■代々木緑道を行く

西参道を超えた先、画像の部分で、玉川上水の北側を走っていた京
王線は南側へと位置を変える。玉川上水を急曲線で徐行しながら渡
っていたため運転上のネックとなっていた。
■天神橋駅跡

天神橋変電所の先、玉川上水に架かる天神橋の手前に存在したのが
天神橋駅である。現在はご多分に漏れず、児童公園となっている。
余談であるが、戦前の京王線は、国鉄の線路を超えた先の新宿追分
駅を始発駅としていたが、天神橋変電所が戦時中に爆撃されたため
電圧降下により甲州街道上の跨線橋を上れなくなってしまい、急遽
国鉄駅西側に新駅を設置した経緯がある。
■天神橋駅跡に残る遺構

天神橋駅脇は南に向けて緩やかな斜面となっており、一部は擁壁が
施工されているが、道路に近い部分のみ老朽化した土留めとなって
いる。天神橋駅の土留めを転用したものと思われる。
■文化学園脇を通る

天神橋駅を出発すると、学校法人文化学園の敷地内に入る。画像の
中央が地上線時代の京王線跡、左側は玉川上水跡となる。
■文化学園を貫く旧線跡

文化学園敷地内には、玉川上水跡を偲ぶモニュメントが設置される。
左側のドーム状のものがモニュメントで、暗渠の水管を模したもの。
画像中央奥が地上線時代の廃線跡。なお画像右側のプレハブ小屋の
ある付近は、1963年に新宿地下駅が開業した際の暫定トンネル
出口である(詳細は下記)
■暫定トンネル出口跡

上記画像の右側の近影。大正〜昭和中期の京王線は新宿駅からこの
付近まで、甲州街道上の併用軌道をゴトゴト走るという、路面電車
並みの路線であった。戦後、甲州街道の自動車の増加が問題となり
併用軌道の廃止と、新宿〜初台間の地下化が決定した。1963年
運転上のネックとなっていた併用軌道をまず廃止、新宿駅は地下化
されたが、初台付近の地下線が未完成であったため、暫定的にこの
地にトンネル出口を設けた。画像は当時のトンネル出口擁壁。現在
は蓋がされ完全地下化されるが、画像左下に見える換気口からは時
折、列車の走行音が漏れ響く。
■新町駅跡

上々記の画像の中央を進むとレンタカー事務所の先に街路樹と不自
然な側道が現れるが、ここにはかつて新町駅が存在した。新町駅は
1914年に開業するも、戦時下の不要不急駅に指定され1945
年に廃止となった。新町駅を出発した列車は、いよいよ甲州街道の
道路上を走る。
■甲州街道の併用軌道を走る

新町駅を出発した列車は甲州街道上の併用軌道を走る。画像右端に
見切れている右折レーン辺りから画像中央奥に向かって線路が伸び
ていた。現在の新宿の喧騒を考えると、ここに電車が走っていたと
は俄かに信じがたい。
■新宿駅

甲州街道をゴトゴト走ってきた列車は、西新宿一丁目交差点で北方
向に90度向きを変え、現在のルミネの立地にあった専用軌道へと
進み、その先に新宿駅があった。

軌道法で開業した京王線は、現在では考えられない脆弱な路線であ
ったが、新宿の発展とともに都市鉄道へと脱皮を遂げた。