にょほほ電鉄 - 路線 - 東京都交通局都電砂町線跡・・・
東京都内に42系統もの路線を所有していた都電のうち38系統と
29系統(一部)が使用していた通称・砂町線は元々1920年に
城東電気軌道が開業させた「洲崎線」で、そのうち水神森〜大島一
丁目間と南砂三丁目〜南砂二丁目間は専用軌道であった。この項で
は現在、緑道公園に転用された亀戸・西大島付近と南砂付近の専用
軌道跡を紹介する。画像は旧竪川人道橋に設置のモニュメント。

■京葉道路との分岐点

JR総武線・亀戸駅の東口を降りると、京葉道路を挟んだ向かい側
にショッピングモール「サンストリート」と、その脇に緑道公園が
目に入る。この緑道が都電砂町線跡である。京葉道路を走ってきた
29系統と38系統が、ここで直角に曲がり砂町方面へと向かう。
※サンストリートは2016年に閉館となっています。
■水神森電停(亀戸緑道公園)

上記の画像を至近距離から撮影。この緑道の両脇に水神森電停があ
った。ここから大島三丁目電停までは直線となる。なお緑道の所々
には、この緑道公園の経緯等が書かれた看板がある。
■旧・竪川人道橋

緑道公園を進むと首都高速道路・小松川線を潜る。首都高速の直下
は竪川が流れる(ただし付近は暗渠化されている)都電は竪川を太
鼓橋のような鉄橋で超えていた。都電の廃線後、この鉄橋は人道橋
となった。2011年、橋の老朽化に伴い撤去が行われ、現在は遊
歩道の一部となっている。

※矢印を画像にかざすと、撤去前の橋梁(人道橋)の画像へ。
■竪川通電停(大島緑道公園)

竪川人道橋を越えた付近は、竪川通電停のあった場所。ここから先
は大島緑道公園と名称が変わるが見た目には変化がない。なおこの
緑道は亀戸駅と大島四丁目団地を結ぶ生活道路であり、人の往来は
思いのほか多い。
■大島三丁目電停(新大橋通りとの交差部)

緑道公園を進むと、新大橋通りとの交差部に差し掛かる。この手前
両脇に大島三丁目電停があった。専用軌道はここで終わりかと思い
きや、ダイエーの建物の右側に緑道が見える。ただし水神森〜大島
三丁目までは車道も併設されていたが、この先から車道がなくなり
事実上の「専用軌道」となる。また新大橋通りを右側に進むと都営
新宿線の西大島駅がある。
■大島緑道公園

信号を渡ると両脇の樹木が増え路地裏に迷い込んだ雰囲気が漂う。
ダイエー付近と、この先のカーブが併せてS字を描いており、その
昔は撮影名所だったとか。ただし現在は木々が生い茂り全体を見渡
す事はできない。
■大島一丁目電停(明治通りとの合流地点)

緑道公園は明治通りと合流、専用軌道はここで終点となるが、合流
地点の手前に大島一丁目電停があった。ここからは明治通りを進み
南砂三丁目までは併用軌道となる。

■南砂三丁目電停

大島一丁目から先は併用軌道となり、北砂三丁目、北砂二丁目、境
川と、明治通り上の電停を進む。葛西橋通りで29系統と分岐した
38系統は、南砂三丁目の手前で明治通りを右側に逸れる。画像の
緑が生い茂る箇所が、南砂三丁目電停のあった場所である。
■南砂緑道公園

南砂三丁目から先は専用軌道を走っていたが、現在は専用軌道跡が
南砂緑道公園となっている。この南砂緑道公園は、春には区内屈指
の桜の名所となり、お花見客で賑わうという。画像の緑道は、奥に
向かって下っているが、この先にJR越中島貨物線のガーター橋が
あり、都電が鉄橋を潜っていたため。
■JR越中島貨物線との交差部

都電はJR越中島支線をアンダーパスするが、JRのガーター橋の
名称が、ナント「城東電軌跨線ガード」である。平成の時代になっ
ても城東電軌の名称が生き続けている。ガーター橋は頭上スレスレ
の高さであるが、これは都電が廃止され緑道に転用された際に、嵩
上げされたため。なお越中島支線に関してはこちらの項を参照され
たい。
※矢印を画像にかざすと「城東電軌跨線ガード」看板の画像へ。
■南砂緑道公園に設置されたモニュメント

ガーター橋を越えた先に、レールと都電の車輪のモニュメントが設
置されている。竪川人道橋のものよりもリアル度は高いが、あくま
でモニュメントであり、都電の廃線そのものではない。ただし車輪
は実物との事。車輪の奥には説明書きがあり、都電の線路跡を緑道
公園に転用された旨が記載されている。
※矢印を画像にかざすと説明書きの画像へ。
■第四砂町小学校電停付近

都電の線路は真っ直ぐであったが、緑道公園は道が蛇行するなどの
アレンジが加えられている。歩道と自転車道がやや離れた先に第四
砂町小学校電停があった。その名の通り、小学校の至近に設置され
ている。都電の電停名は時代によって変貌を遂げており、この電停
も以前は南砂町一丁目という名称であった。なお当サイトでは廃止
直前の名称に統一している。
■南砂緑道公園を進む

第四砂町小学校電停を越えた先、線路は90度以上の急カーブで左
方向へと曲がる。南砂三丁目から南砂二丁目へは不自然な迂回ルー
トとなっているが、これは、汽車製造株式会社東京製作所を避ける
ように走っていたため。汽車製造は、その名の通り古くは蒸気機関
車の製造、また営団地下鉄を初めとする鉄道車両も製造していた。
製造車両は、至近を通る越中島支線で運ばれた。汽車製造は、後に
川崎重工に吸収合併され、東京製作所の跡地は、南砂二丁目団地と
なった。
■南砂緑道公園を進む

南砂緑道公園は、南砂二丁目が近づくと、歩道と自転車道に更なる
アレンジが加わり、幾度か交差する。自転車の過速度の抑止が目的
と思われる。またこの付近には長州藩大砲鋳造場跡があり、大砲を
模したモニュメントが設置される。嘉永六年に長州藩が三浦半島に
設置する大砲を鋳造するべく鋳砲家を集め、翌年に砂村(現・砂町)
にて大砲鋳造を行った、という歴史がある。
※矢印を画像にかざすと大砲のモニュメントの画像へ。
■南砂二丁目電停

南砂緑道公園と永代通りとの交差部。この付近に南砂二丁目電停が
あった。この先、線路は併用軌道となり永代通りを日本橋方面へと
進んでいった。
交通空白地帯に存在したこの路線は、1920年に
城東電軌の洲崎線として開通後、1929年に全通、1938年に
東京地下鉄道(現:東京メトロ)と合併、さらに1942年には東
京市電気局(現:東京都交通局)に買収された。城東地区の乗客輸
送に従事したが、地下鉄東西線を始めとする高速鉄道の整備に伴い
存在価値が薄れ、1972年11月をもって廃止された。