にょほほ電鉄 - 路線 - 東京都交通局都電砂町線跡・・・ |
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■京葉道路との分岐点 JR総武線・亀戸駅の東口を降りると、京葉道路を挟んだ向かい側 にショッピングモール「サンストリート」と、その脇に緑道公園が 目に入る。この緑道が都電砂町線跡である。京葉道路を走ってきた 29系統と38系統が、ここで直角に曲がり砂町方面へと向かう。 ※サンストリートは2016年に閉館となっています。 |
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■水神森電停(亀戸緑道公園) 上記の画像を至近距離から撮影。この緑道の両脇に水神森電停があ った。ここから大島三丁目電停までは直線となる。なお緑道の所々 には、この緑道公園の経緯等が書かれた看板がある。 |
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■旧・竪川人道橋 緑道公園を進むと首都高速道路・小松川線を潜る。首都高速の直下 は竪川が流れる(ただし付近は暗渠化されている)都電は竪川を太 鼓橋のような鉄橋で超えていた。都電の廃線後、この鉄橋は人道橋 となった。2011年、橋の老朽化に伴い撤去が行われ、現在は遊 歩道の一部となっている。 ※矢印を画像にかざすと、撤去前の橋梁(人道橋)の画像へ。 |
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■竪川通電停(大島緑道公園) 竪川人道橋を越えた付近は、竪川通電停のあった場所。ここから先 は大島緑道公園と名称が変わるが見た目には変化がない。なおこの 緑道は亀戸駅と大島四丁目団地を結ぶ生活道路であり、人の往来は 思いのほか多い。 |
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■大島三丁目電停(新大橋通りとの交差部) 緑道公園を進むと、新大橋通りとの交差部に差し掛かる。この手前 両脇に大島三丁目電停があった。専用軌道はここで終わりかと思い きや、ダイエーの建物の右側に緑道が見える。ただし水神森〜大島 三丁目までは車道も併設されていたが、この先から車道がなくなり 事実上の「専用軌道」となる。また新大橋通りを右側に進むと都営 新宿線の西大島駅がある。 |
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■大島緑道公園 信号を渡ると両脇の樹木が増え路地裏に迷い込んだ雰囲気が漂う。 ダイエー付近と、この先のカーブが併せてS字を描いており、その 昔は撮影名所だったとか。ただし現在は木々が生い茂り全体を見渡 す事はできない。 |
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■大島一丁目電停(明治通りとの合流地点) 緑道公園は明治通りと合流、専用軌道はここで終点となるが、合流 地点の手前に大島一丁目電停があった。ここからは明治通りを進み 南砂三丁目までは併用軌道となる。 |
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■南砂三丁目電停 大島一丁目から先は併用軌道となり、北砂三丁目、北砂二丁目、境 川と、明治通り上の電停を進む。葛西橋通りで29系統と分岐した 38系統は、南砂三丁目の手前で明治通りを右側に逸れる。画像の 緑が生い茂る箇所が、南砂三丁目電停のあった場所である。 |
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■南砂緑道公園 南砂三丁目から先は専用軌道を走っていたが、現在は専用軌道跡が 南砂緑道公園となっている。この南砂緑道公園は、春には区内屈指 の桜の名所となり、お花見客で賑わうという。画像の緑道は、奥に 向かって下っているが、この先にJR越中島貨物線のガーター橋が あり、都電が鉄橋を潜っていたため。 |
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■JR越中島貨物線との交差部 都電はJR越中島支線をアンダーパスするが、JRのガーター橋の 名称が、ナント「城東電軌跨線ガード」である。平成の時代になっ ても城東電軌の名称が生き続けている。ガーター橋は頭上スレスレ の高さであるが、これは都電が廃止され緑道に転用された際に、嵩 上げされたため。なお越中島支線に関してはこちらの項を参照され たい。 ※矢印を画像にかざすと「城東電軌跨線ガード」看板の画像へ。 |
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■南砂緑道公園に設置されたモニュメント ガーター橋を越えた先に、レールと都電の車輪のモニュメントが設 置されている。竪川人道橋のものよりもリアル度は高いが、あくま でモニュメントであり、都電の廃線そのものではない。ただし車輪 は実物との事。車輪の奥には説明書きがあり、都電の線路跡を緑道 公園に転用された旨が記載されている。 ※矢印を画像にかざすと説明書きの画像へ。 |
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■第四砂町小学校電停付近 都電の線路は真っ直ぐであったが、緑道公園は道が蛇行するなどの アレンジが加えられている。歩道と自転車道がやや離れた先に第四 砂町小学校電停があった。その名の通り、小学校の至近に設置され ている。都電の電停名は時代によって変貌を遂げており、この電停 も以前は南砂町一丁目という名称であった。なお当サイトでは廃止 直前の名称に統一している。 |
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■南砂緑道公園を進む 第四砂町小学校電停を越えた先、線路は90度以上の急カーブで左 方向へと曲がる。南砂三丁目から南砂二丁目へは不自然な迂回ルー トとなっているが、これは、汽車製造株式会社東京製作所を避ける ように走っていたため。汽車製造は、その名の通り古くは蒸気機関 車の製造、また営団地下鉄を初めとする鉄道車両も製造していた。 製造車両は、至近を通る越中島支線で運ばれた。汽車製造は、後に 川崎重工に吸収合併され、東京製作所の跡地は、南砂二丁目団地と なった。 |
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■南砂緑道公園を進む 南砂緑道公園は、南砂二丁目が近づくと、歩道と自転車道に更なる アレンジが加わり、幾度か交差する。自転車の過速度の抑止が目的 と思われる。またこの付近には長州藩大砲鋳造場跡があり、大砲を 模したモニュメントが設置される。嘉永六年に長州藩が三浦半島に 設置する大砲を鋳造するべく鋳砲家を集め、翌年に砂村(現・砂町) にて大砲鋳造を行った、という歴史がある。 ※矢印を画像にかざすと大砲のモニュメントの画像へ。 |
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■南砂二丁目電停 南砂緑道公園と永代通りとの交差部。この付近に南砂二丁目電停が あった。この先、線路は併用軌道となり永代通りを日本橋方面へと 進んでいった。交通空白地帯に存在したこの路線は、1920年に 城東電軌の洲崎線として開通後、1929年に全通、1938年に 東京地下鉄道(現:東京メトロ)と合併、さらに1942年には東 京市電気局(現:東京都交通局)に買収された。城東地区の乗客輸 送に従事したが、地下鉄東西線を始めとする高速鉄道の整備に伴い 存在価値が薄れ、1972年11月をもって廃止された。 |