にょほほ電鉄 - 駅 - 堀切駅・・・
堀切駅は、東京都足立区千住曙町にある東武スカイツリーラインの
駅。荒川土手や運河に挟まれ、幹線道路からも離れた立地であるた
め、乗降客数は東京都内の東武の駅では亀戸水神駅に次いで少なく
立地も相まって都区内とは思えない独特な雰囲気を醸し出す。また
テレビドラマ「3年B組金八先生」にも時々登場した。この項では
堀切駅の駅舎や周辺を中心に紹介する。

■堀切駅ホーム

堀切駅は2面2線の対向式ホームで、急カーブ上に立地する。開業
時は現在ほど急曲線ではなく駅自体も東側に立地したが、当時の荒
川(現・隅田川)の度重なる氾濫のため、水害対策として大正末期
に荒川放水路の掘削が計画されるが、その際に線路の一部が掘削用
地に含まれるため、線形が変更された。乗降客数は東京都内の東武
の駅では亀戸水神駅の次に少ない4406人(2017年現在)で
そのためかホーム上屋も必要最低限の長さである。
■堀切駅駅舎(西口)

堀切駅は構内に跨線橋がなく、乗車する列車によって利用する駅舎
が異なる。画像は西口。東武動物公園方面行き列車の乗り場となる。
昭和後期に放映され社会現象にもなった、テレビドラマ「3年B組
金八先生」で坂本金八が赴任する区立桜中学校のロケ地は、堀切駅
西側にある足立区立第二中学校(後に廃校・現在は東京未来大学)
であった。そのためこの駅舎もドラマで時折登場していた。
■堀切駅前(西口)

西口の駅前を跨線橋から眺める。画像手前右側が堀切駅で、画像中
央の道路は手前で行き止まりとなる。さらに旧綾瀬川と荒川放水路
に囲まれ、正に「隅に追いやられた」感が否めない。駅前にはラー
メン屋が1件あるのみで、コンビニへは、画像中央の道路をひたす
ら奥に進み、墨堤通りまで出る必要がある。ただしコンビニに着い
た頃には、京成関屋駅や東武牛田駅が視界に入るのだが・・・。
■隅田水門

上記の画像の背後には、旧綾瀬川と隅田水門、その先には荒川放水
路が目に入る。当地点は河口や分流地点を除いて、隅田川と荒川放
水路が接近する場所であり、荒川放水路掘削後に綾瀬川本流と分断
された旧綾瀬川が、両河川を繋ぐ連絡河川となっている。隅田水門
は、荒川放水路の潮位変動が隅田川に影響しないよう設けられ、隣
接して排水機場も設けられる。旧綾瀬川を越えた先は墨田区となる。
画像上部は首都高速6号向島線。荒川放水路の対岸には堀切ジャン
クションがある。
■堀切駅駅舎(東口)

西口より跨線橋を渡り東口へ赴く。東口は浅草方面行き列車の乗り
場となる。何より特異なのは、駅前から荒川土手に直結する立地で
しかも駅左手には雑草の生い茂る未舗装の私道があるという、都区
内とは思えない情景が広がる。画像右側、土手の道路は都道449
号線。都道を奥へ進むと堀切橋へ至る。
※矢印を画像にかざすと駅舎近影の画像へ。
■堀切橋

足立区柳原と葛飾区堀切を結ぶ、荒川放水路と綾瀬川に架かる都道
314号線(川の手通り)の橋。荒川放水路掘削の際に架けられた
初代橋梁は木橋であったが、2度の架け替えにより現在は鋼製とな
った。堀切橋の脇には京成線の荒川橋梁が並ぶ。
■堀切駅ホーム

浅草行きホームに10000系が停車中。急カーブ上の駅であるた
め、通過列車も制限速度75kmに抑えられる。

堀切駅は1902年に開業。江戸時代に小高伊左衛門が趣味で各地
の花菖蒲を栽培したのが始まりと言われる「堀切菖蒲園」の、観光
客の便を計るために開設された。しかし僅か3年後、荒川放水路の
掘削計画により線路の移設が生じたため営業休止、後に一旦廃止と
なった。荒川放水路完成後に営業再開するも、川で分断された堀切
駅から菖蒲園を利用する客は最早なく、何時しか最寄り駅は京成の
堀切菖蒲園駅となり、堀切駅は観光客とは無縁の駅となった。