にょほほ電鉄 - 車両 - 京成電鉄
京成電鉄は、上野から東京下町や千葉西部を経由し、成田空港へと
至る鉄道。元々は成田山参拝客輸送鉄道として開業した。テレビ搭
載列車や空港連絡特急、地下鉄との相互直通運転など日本初の実績
が多く、駅構内での撮影許可も京成が初。結果「男はつらいよ」の
撮影地として柴又が選ばれた。反面、大手私鉄で唯一、経営危機に
晒された過去も持つ。なお京成は東京ディズニーリゾートを運営す
るオリエンタルランドの筆頭株主。現在は成田スカイアクセス開業
に伴い、スカイライナーが速達化された。
駅名標 京成電鉄
駅名標は、2013年頃から京成八幡駅、京成曳舟駅を皮切りに新
しい駅名標が登場している。書体は和文がユニバーサルデザインを
欧文がドイツ工業規格を採用した視認性を重視した書体となる。た
だし根本的に、過去の駅名標に比べ文字が小さくなってしまった。

和文書体:イワタUDゴシック
欧文書体:DIN


注意喚起用ドアステッカーは「京成カード」のキャラクターである
京成パンダが手を挟まれるという絵柄。京成パンダ自体、目つきの
悪いキャラであるため、なかなかシュールな絵柄となる。また車外
側は「かけこみ禁止!」の絵柄となる。
※矢印を画像にかざすと車外側の画像へ

■AE形(2010年)

上野と成田空港を結ぶスカイライナーや朝晩の通勤ライナーに使用
される最新鋭特急車両。2010年に開業した成田スカイアクセス
での160キロ運転に対応。山本寛斎氏によるデザインは「風」と
「凛」をコンセプトとし、和の伝統色である藍、スピード感を強調
した白の塗装となる。京成の原点回帰を込め、車両形式は初代ライ
ナーと同様のAE形を名乗る(注:初代スカイライナーはAE車)
鉄道友の会「ブルーリボン賞」受賞、また「グッドデザイン賞」も
受賞している。
■3100形(2代目・2019年)

成田スカイアクセス線の増発と3600形の老朽化に伴い登場した
最新鋭車両。外観は、成田スカイアクセス線の案内カラーであるオ
レンジを基調としたデザインとし、戸袋部には沿線名所のイラスト
が入る。車内は座席の一部を折りたたみ式とし、空港利用客の大型
荷物に対応した。また、座席自体もハイバックとなる。制御装置は
SiC−VVVFインバータを搭載し3000形より15%の消費
電力削減を実現した。2019年10月に営業運転を開始した。
■3000形(2代目・2003年)

「赤電」こと初代3000系列を置き換えるべく登場した車両。製
造工程短縮のため鋼体は、日本車輌が開発した、ステンレスをブロ
ック状に組み合わせる工法を採用。さらにドアチャイムの初採用や
優先席付近のつり革を低くするなど、乗客に配慮した仕様とした。
なお、この車両は、京成グループ標準車両と位置づけられ、新京成
N800形や北総7500形は同一思想に基づく共通設計車である。
なお成田スカイアクセス開業時に増備された7次車のみは外観が異
なる(
詳細は後述
■3000形・7次車(2010年)

京成標準車両である3000形は、2010年に開業した成田スカ
イアクセス経由ルートの一般列車用として、7次車が増備されたが
従来の車両と比較して大幅な変更が施された。成田スカイアクセス
線内での高速運転に対応すべく130キロ運転対応とし、また飛行
機がアクセントとなるストライプの入った外装となった。室内には
乗降扉鴨居部に液晶ディスプレイが設置されている。仕様の違いか
ら「3050形」とも呼ばれる。登場時はブルーの外観であったが
現在は3100形に合わせたオレンジ系への外観となった。しかし
将来的には成田スカイアクセス線からの撤退が予定されている。
■3700形(1991年)

初代3000系列のうち、非冷房車の置き換えと北総線乗入れ用と
して登場した車両。スカイライナーの塗色である赤と青のストライ
プを採用、従来の京成のイメージを払拭した。また京成の新造通勤
車両では初めてVVVFインバータ制御を搭載。特急から各停まで
と幅広く活躍する。なお、北総7300形はこの3700形と同一
思想に基づく共通設計車両である。
■3700形(6次車〜・2000年)

京成の主力車である3700形は2000年製造の6次車から仕様
変更が行われた。外観はヘッドライトが上部へ移設され、逆に優等
列車表示灯は下部に移設し、細長い形状の尾灯と共に並べられた。
パンタグラフはシングルアーム式となり、室内の座席仕切板は近年
他車両でも採用の大型タイプとなる。6次車と7次車は6両編成で
製造されたため千葉線や千原線でも見られるようになった。また最
終増備の8次車は8両編成で製造されている。
■3400形(1993年)

日本初の空港特急である初代スカイライナーAE車は、後継のAE
100形に役割を譲るも、製造からまだ20年前後であるため走行
装置や空調機器を再利用、車体のみ新製して通勤車へと変身。この
車両を3400形とした。車内設備は3700形と同等。何故か外
観はステンレスではなく鋼製となっている。なおこの頃、京成では
新塗装を検討していたが、3400形で採用のグレー塗装が広まる
結果となった。

■3600形(1982年)

「青電」と呼ばれる旧性能車の置換えを目的として導入された車両。
京成では初の、外板のほかに骨組や台枠にもステンレスを採用した
オールステンレス車体となり、車体の劣化低減を実現。電動装置の
出力増加により先頭車両は電動装置をなくしコスト削減に寄与した
が、この仕様が京急乗入れ規定に抵触する事から、京急への乗入れ
には対応していない。老朽化に伴い廃車が開始された。
■3500形(1972年)

京成初の、ステンレス車体を採用した車両。外板の塗装が不要とな
り塗装コスト低減を実現。また京成通勤車両では初の冷房搭載車で
登場するや否や人気を博した。後年には骨組や台枠もステンレスと
した、オールステンレス車両の試作車も登場した。1996年より
3700形に準じたリニューアル工事が施工され、新車と遜色ない
雰囲気となった。
なお、リニューアル工事が施されなかった編成は
2017年までに廃車となっている(
詳細は「懐かしの車両」欄

■AE100形(1990年〜2016年)

1991年の空港直下乗入れを控え、利用客増加を見込み、2代目
スカイライナーとして登場した車両。特急車ながら貫通扉を装備す
るが、これは当初、都営浅草線への乗り入れを計画していたためで
地下鉄区間を走行する車両が貫通扉設置を義務づけられているため。
前照灯は鉄道車両では珍しくスポーツカーを思わせる格納式である。
2010年、主役の座をAE形に譲り、新設の「シティライナー」
に充当されるが、2015年のシティライナー廃止に伴い、翌年の
2月をもって引退した。
■AE車(1972年〜1993年)

成田空港の開港に併せて製造された日本初の空港連絡特急車で鉄道
友の会「ブルーリボン賞」受賞車である。室内は空港利用者に配慮
して荷物室を設ける。しかし空港開港は遅れデビューが延期、しか
も空港反対派によって放火される不運にも見舞われている。登場時
はクリームとマルーンの塗色であったが、後に画像の塗色へと変更
され、これが現在の京成のイメージカラーとなる。AE100形の
登場により引退。現在は走行装置を再利用し3400形となる。
■3000形・7次車(2010年〜)

3000形のうち成田スカイアクセス線開業に伴い増備された7次
車は、登場当初は鮮やかなブルーの外観が特徴であった。2019
年、最新鋭車両の3100形が登場した際に、ラインカラーである
オレンジが採用されたが、本線との誤乗防止のため当車両も外装を
オレンジにする事となった。2019年中に全編成が塗装変更され
たが、将来的には成田スカイアクセスからの撤退が予定されており
本線仕様の、赤と青のストライプへと再変更される予定。
■3500形(1972年〜)

京成初のステンレス車両である3500形は、登場当時は左記の外
観であり、かつストライプも青帯はなく、朱色の帯のみであった。
1996年より3700形に準じたリニューアルが行われたが、思
いのほか老朽化が進んでいたことからリニューアルは全編成には及
ばず、以降は3000形の新造となった。未更新編成は廃車が進み
2017年2月をもって全編成が引退となった。

■3300形(1968年〜2015年)

京成初の高性能車である3000形(初代)の流れを汲む車両。設
計コンセプトは3200形を踏襲しながらも、前面や側面には行先
方向幕が標準搭載された(試験搭載を含めると京成2例目)また車
内にはラッシュ時に備えてスタンションポールを設けた。1989
年より更新工事が行われ、前面が現在の形状となった。1993年
から現行のグレー塗装化が行われた。京成最後の「赤電」として人
気を博したが、老朽化により2015年2月をもって引退した。な
お3308編成と3316編成は北総鉄道へとリースされ7260
形として活躍したが、こちらも時を同じくして引退している。
■3300形リバイバル塗装・青電(2009年〜2013年)

2009年に創立100周年を迎えた京成の記念行事として、京成
通勤車両の歴代塗色を3300形1編成ずつに塗装し塗装させた。
2009年6月より、3356編成が青緑の濃淡色の通称「青電」
塗装へと変更され登場した。
青電は1952年登場の2100形に
初めて塗装され、以後、3000形(初代)まで踏襲、3050形
(初代)以降の車両が「赤電」塗装を採用した中、旧性能車両の塗
色として、1982年に行商専用車であった2200形が廃車され
るまで存在した。
なお3356編成は老朽化のため2013年2月
に引退した。
■3300形リバイバル塗装・赤電(2009年〜2013年)

2009年に創立100周年を迎えた京成は記念行事として、京成
通勤車両の歴代塗色を3300形1編成ずつに塗装し登場させた。
8月より3324編成を、クリーム色とファイアオレンジ、そして
ミスティラベンダー帯の通称「赤電」塗装へと変更し登場させた。
「赤電」塗装は1959年登場の3050形(初代)に初めて塗装
され、京成のイメージアップに貢献した。しかしその後の経営悪化
に伴うコスト削減で順次「新赤電」塗装に変更され「赤電」塗装は
1982年に消滅した。
なお3324編成は老朽化のため2013
年3月に引退した。
■3300形リバイバル塗装・新赤電(2009年〜2013年)

2009年に創立100周年を迎えた京成は記念行事として、京成
通勤車両の歴代塗色を3300形1編成ずつに塗装し登場させた。
9月より3312編成を、ファイアオレンジとクリーム帯の、通称
「新赤電」塗装へと変更し登場させた。
「新赤電」塗装は1979
年、京成の経営悪化に伴うコスト削減により採用された塗装で、登
場当時は「会社が赤字だから電車も赤い」と揶揄された。1993
年よりイメージアップの一環として、塗装試験を経てグレー塗装へ
と変更。「新赤電」塗装は1995年に消滅した。
なお3312編
成は老朽化のため2013年3月に引退した。
■3200形(1964年〜2007年)

3000形(初代)の流れを汲む車両。3150形と同様の4両固
定編成であるが、乗降扉が京成初の両開き扉を採用、それに伴い窓
配置も大幅に変更された。また前面形状も僅かに丸みを抑えた形状
となる。登場当初は行先表示幕が搭載されておらず(他の赤電も同
様)日めくり型の行先表示板を採用していた(
矢印を画像にかざす
と更新前の車両の画像へ
)しかし1985年より行われた更新工事
により現在の形状となった。なお、最終増備車である3290番台
は特急「開運号」用として製造された(
詳細は後述)老朽化に伴い
2007年をもって引退した。
■3200形・3290番台(1967年〜2007年)

3200形の最終増備車である3290番台は、特急「開運号」用
車両であった1600形の置換えとして登場した。室内はボックス
シート、トイレ、車販準備室が設置されたが、既に登場が計画され
ていたAE車との「つなぎ」として登場したため、外観は通勤車両
そのものであった。乗降扉も片開き扉へと逆戻りしている。AE車
登場後はトイレや車販室の撤去、ロングシート化が行われた。なお
3294編成はVVVFインバータ制御の試験車両として改造され
前照灯が角型となり異彩を放った。老朽化のため2007年をもっ
て引退。晩年は「開運号」復刻運転が行われた(
画像は復刻運転時
■3200形・試験塗装車(1991年〜1993年)

成田空港直下乗入れを機に、評判の悪かった「新赤電」塗装を改め
るべく、所属車両の新塗色が検討された。スカイライナーのイメー
ジであるヒューマンレッド・フューチャーブルーをストライプ色に
採用。しかし基調色はグレー・ホワイト・ライトブルー・イエロー
グリーンの4色が登場、各編成に施された。特にグリーン編成は沿
線で話題になったが、結局は3400形で採用されたグレーがその
まま広まる結果となった。画像は最も短命に終わったライトブルー
基調の試験塗色車。ストライプ形状が現在と異なる。
■3050形(初代・1959年〜1995年)

都営地下鉄浅草線との直通運転用途として製造された車両。直通運
転を数年後に控えた1959年、京成では線路幅を浅草線と合わせ
るため、1372mmであった線路幅を1435mmへと改軌する
大規模工事が行われたが、この車両は新しい線路幅に対応した台車
を装備、工事完了区間に順次投入されていった。クリーム色とファ
イアオレンジ、ミスティラベンダー帯の通称「赤電色」を初採用。
他社にはない明るい塗装は、京成のイメージアップに貢献した。後
に更新工事が施され、前面形状が変化した。
老朽化に伴い1995
年をもって引退した。
■2100形(1952年〜1988年)

戦後初の本格的な導入車両。登場当初は半鋼製ながら平滑な車体と
され「青電」塗装も当初から施された。1962年以降からは更新
工事により車体が全鋼製化、また1971年頃には前照灯が2灯化
され「赤電」に近い外観となった。後年は他の車両と同様にファイ
アオレンジ基調の「新赤電」塗装とされたが、引退時のさよなら運
転の際に「青電」塗装が復活した(
画像はさよなら運転時の模様
老朽化のため3600形と置き換えられ、1988年3月をもって
引退した。

■千葉急行電鉄・1000形(1992年〜1994年)

小湊鉄道が所有していた千葉〜海士有木(あまありき)間の免許を
譲受のうえ設立した千葉急行電鉄の、千葉中央〜大森台間が開業し
た際に投入された車両。元々は京成が、冷房化率向上のため京急か
らリースしていた1000形を、塗装変更のうえ千葉急行へと貸し
出した。しかし元々車齢が高かった事から、僅か2年で置き換えと
なり、廃車となった。なお、千葉急行電鉄自体も、経営破綻のため
1998年をもって会社が清算された。路線は現在、京成が引き継
ぎ、千原線としている。