にょほほ電鉄−車両−長野電鉄
長野電鉄は、長野駅から須坂、信州中野を経由し、湯田中へと至る
鉄道である。千曲川東岸地域の産業輸送近代化を目的とした河東鉄
道を発祥とし、その後は湯田中温泉や志賀高原など観光開発にも注
力、スキーブームの先鞭となる。1981年、長野市内の交通整備
に伴い長野〜本郷間は地下化され、完成当初は「信州初の地下鉄」
と話題になった。都市交通としての役割も持つが、乗客は減少して
いるのが現状である。

※画像は、地下駅である長野駅
駅名標 長野電鉄
駅名標は、長野寄りを中心に統一デザインとされているが、何故か
長電カラーとは関連のない青いラインが入る。書体は取付け時期に
よって異なり、画像の桐原駅では、角ゴシック体と丸ゴシック体の
2種類の書体が存在。
※矢印を画像にかざすと角ゴシック体の駅名標に。

和文書体:初期・ナール 後期・ゴナ
欧文書体:初期・ナール 後期・Helvetica

注意喚起用ドアステッカーは、昭和期の東急を思わせる、手を扉に
挟まれた男の子が号泣するというデザイン。しかし長年の風雪に晒
され殆どのステッカーは退色が激しい。なお新形式車3000系は
東京メトロ時代のステッカーがそのまま貼られている。
8500系の一部編成には、新しいドアステッカーが貼付されてい
る。号泣少年は消え、黄色地のシンプルな注意喚起となる。

■2100系(2011年)

特急型車両2000系の老朽化に伴い登場した車両。JR東日本よ
り、成田エクスプレス用車両であった253系を譲受し、一部設備
を改造の上投入した。成田エクスプレス時代は個室付きのグリーン
車であった1号車が指定席車、2・3号車が自由席車となる。沿線
の地獄谷野猿公苑のサルをイメージし「スノーモンキー」の愛称が
付く。2011年2月に営業運転を開始した。
■1000系(2006年)

特急型車両2000系の老朽化に伴い登場した車両。新しい観光特
急を検討していた長野電鉄が、経年が浅いながら廃車となった小田
急10000形を譲受し、短編成化のうえ導入した。車体色は小田
急時代を踏襲するが、やや朱色味を帯びた長電レッドとされた。湯
田中温泉にちなみ「ゆけむり」の愛称が付く。
■3000系(2020年)

3500系の老朽化に伴い登場した車両。東京メトロ03系を譲受
し投入した。長電の主力車両8500系は、急勾配区間である信州
中野〜湯田中間に入線できず、旧型車3500系が引き続き活躍し
ていたが、3500系の前職である日比谷線にて車両更新が発生し
03系が廃車となることから白羽の矢が立った。前面が赤帯となり
スカートが設置されたほかは、日比谷線時代を踏襲している。
■8500系(2005年)

冷房化率向上のため、東急より8500系を譲受し導入された車両。
サービス向上の一環として、長電初のLED案内表示機やドアチャ
イムが設置された。最終増備である8506編成は中間車を先頭車
化改造しており前面形状が若干異なる。抑速ブレーキを備えていな
いため、急勾配区間である信州中野〜湯田中間には入線できない。
省電力車両の比率向上計画により、数年以内の引退が予定される。
※矢印を画像にかざすと8506編成の画像に。

■2000系(1957年〜2012年)

湯田中温泉・志賀高原への観光特急として活躍した車両。ボックス
シートが並ぶ車内や当時の大手私鉄並みの車両性能など、地方私鉄
としては非常に完成度の高い車両であった。塗装は当初のマルーン
から、赤地にクリーム色の「リンゴ」塗色に、また冷房化改造の際
にクリーム色地に赤(画像)と幾度か変更が行われた。半世紀以上
にわたり活躍したが、老朽化のため2012年をもって引退した。
■3500系・3600系(1993年〜2023年)

長野五輪を目前に控え、車両が大量に必要になったことから、当時
廃車が進んでいた営団(現:東京メトロ)日比谷線用3000系を
譲受し導入した車両。2両編成が3500系で3両編成が3600
系。元々は冷房装置が付いていなかったが、京成の廃車両から捻出
した冷房装置を搭載している。老朽化に伴い3600系は2020
年に、3500系は2023年に引退した。
■10系(1980年〜2003年)

長野〜本郷間の地下化の際に、補充車両として投入した車両。0系
(現在廃車・鉄道友の会「ローレル賞」受賞車)と共に、地方私鉄
としては珍しく20m級大型車となっているが、0系とは違い3扉
車となっている。非冷房であった事、ワンマン運転非対応であるた
め2003年をもって引退した。一時期、須坂駅構内に留置されて
いたが現在は解体されている。